■「見えない建築」に挑んだ1990年代
■海につながる街のリビングルーム
■日本が誇る高度な技術力を再認識
■地元の材料×地元の職人
■「小さな建築」が未来の「暮らし方」を
切り拓く
■パネルディスカッション
建築デザイン学部
隈研吾に学ぶ、
「小さな建築」から
広がる多様性
朝日教育会議
2023年度恩賜賞と日本芸術院賞を受賞、現在も50以上の国で建築プロジェクトが進行中の日本を代表する建築家の隈研吾先生。
手掛けた建築物をご紹介いただく基調講演と共に、本学の江尻憲泰教授と本学の卒業生でStudio Tokyo West一級建築士事務所代表である瀬川翠氏を交えてのパネルディスカッションが行われました。
日本女子大学 建築デザイン学部
特別招聘教授 隈 研吾
東京大学工学部建築学科卒業後、同大学院工学研究科建築意匠専攻修士課程修了。大手設計事務所などに勤務した後、1990年に隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、東京大学特別教授・名誉教授。国内外で多くの受賞実績があり、現在も50以上の国で建築プロジェクトが進行中。
日本女子大学
建築デザイン学部 建築デザイン学科
教授 江尻 憲泰
(江尻建築構造設計事務所 代表)
千葉大学工学部建築工学科卒業後、同大学院工学研究科修士課程修了。(有)青木繁研究室を経て1996年に江尻建築構造設計事務所設立。これまでアオーレ長岡や富岡市新庁舎などのプロジェクトのほか、清水寺、善光寺経蔵、富岡製糸場西置繭所などの文化財改修も手がけてきた。
株式会社Studio Tokyo West
一級建築士事務所
代表取締役 瀬川 翠
(日本女子大学 非常勤講師)
日本女子大学在学中にシェアハウスの運営を始める。2014年に株式会社Studio Tokyo Westを設立。リノベーションスクールの講師として全国で活動し、まちづくりや事業デザインなど建築家の新たな職能にも取り組む。
日本の戦後復興や高度経済成長期の都市づくりでは「大きくて偉そうで他人(ゼネコン)がつくる建物」が中心でしたが、今や人口減少が進み「小さくて控えめで自分でつくる建築」を求める機運が高まってきています。そこで本日は、私の作品を紹介しながら、「大きな建築」から「小さな建築」への転換についてお話しします。
「見えない建築」に挑んだ1990年代
亀老山展望台
1994年に、瀬戸内海に浮かぶ愛媛県・大島の「亀老山展望台」を設計しました。当初は「大きくて目立つ展望台を」との要望でしたが、建物を緑で覆い、地上からは展望台が見えないデザインを提案しました。先方は唖然としていましたが、結果的には緑が生い茂る山に建物を埋め込んだような建築となりました。なお、館内の広場では音楽コンサートや演劇なども開催されています。
海につながる街のリビングルーム
スコットランド「V&A Dundee」
ダンディという街に建つ「V&A Dundee」のコンペでは、近くの海岸線で見られる特徴的で迫力のある崖に匹敵する建物を提案し、私の普段のデザインと比べると少し重たくて“偉そう”なデザインになりました。そして、建物を“鳥居”に見立て、海につながる遊歩道も設けました。かつては周囲に倉庫が立ち並び、海まで行けなかったからです。
また、コンペの際には「Living room for the city」というコンセプトを発表し、とても好評でした。オープン後はパンフレットやオリジナルのトートバッグにも「Living room for the city」と書かれたほどです。なお、オープニングセレモニーには、現在のイギリスのウィリアム皇太子とキャサリン妃も来られ、キャサリン妃が「船みたいなかたちですね」と話しかけてくれたことも忘れられない思い出です。
日本が誇る高度な技術力を再認識
アメリカ
「ポートランド日本庭園
カルチュラル・ヴィレッジ」
オレゴン州で日本庭園に隣接する施設をつくった際は、地元の木材を使用し、周囲には石垣も設けました。「穴太衆」といい、織田信長が安土城をつくった際の技術を受け継ぐ職人集団が現在も滋賀県で活動しており、日本から来てもらって「穴太の石垣」を築いたのです。穴太衆には、土の圧力を効果的に分散させて強固な石垣を形成する技術があり、熊本地震の際も「穴太の石垣」だけは崩落しなかったほどです。ちなみに、石垣以外は現地の職人と私の事務所のスタッフが協力して完成させました。
デンマーク
「ハンス・クリスチャン
・アンデルセン美術館」
『アンデルセン童話』の作者・アンデルセンの記念館を建てた際には、公園のような空間に佇む木造の建築物を提案しました。このときハードルとなったのは現地の法律です。木と木は接してはならず、6mm以上離す必要がありました。結合にはボルトを使うため、鉄骨と同じ考え方なのです。一方、日本の職人は木の特性を熟知しており、釘やボルトを使わずに木と木を結合させる技術があります。和釘をはじめ、日本の伝統的な建築技法がいかに優れているかを再認識する機会にもなりました。
地元の材料×地元の職人
大阪万博
「いのちをつむぐ(EARTH MART)」
パビリオン
2025年の大阪万博に向けても、「いのちをつむぐ(EARTH MART)」パビリオンで茅葺の建築を進めています。茅はリサイクルにも向いており、取り外して別の茅葺をつくることもできれば、肥料にして土に返すこともできることを、世界の方々に見てもらいたいと思っています。担当しているのは、日本女子大学を卒業したスタッフです。
国立競技場
1964年に東京オリンピックが開かれたとき、私は10歳。丹下健三先生がつくった代々木競技場を父親に連れられて見に行った際、コンクリートでこれほどまで美しい造形ができるものかと衝撃を受けました。ただ、もはや高度成長の時代ではないので、私は木と緑を活かそうと考えました。緑は東京都の野草を100種類以上集めて植えています。建物全体は世界最古の木造建築といわれる法隆寺の五重塔のように木の軒庇が重なるデザインであり、日本古来の建築の知恵が活かされています。軒庇は場所によってピッチが異なり、コンピューターで風の流れをシミュレーションし、最も効率的に風が流れるピッチを導き出しました。また、色とりどりにした観客席は、想像以上に多くの方に喜んでいただきました。東京2020はコロナ禍で無観客開催となりましたが、ある陸上選手は「賑やかな雰囲気で応援されているような感覚になり、走りやすかった」と話してくれました。
「小さな建築」が
未来の「暮らし方」を切り拓く
Mêmu Meadows
(メム・メドウズ)
北海道の大樹町でつくった実験住宅「Mêmu Meadows」は、「チセ」と呼ばれるアイヌ民族の伝統的な家屋をヒントにしました。外側と内側の二重の膜の間には温かい空気を流したほか、夏の間も地面を温かくしておく「ヒートストレージ」というアイヌ民族の考え方に従い、囲炉裏も設けました。環境工学の研究者に空気の流れ方などをシミュレーションしてもらったことで断熱材はほとんど使用せずに済み、私も実際に泊まってみて快適に過ごせました。
イタリア・ミラノ
「カサ・アンブレラ」
傘を1本持って避難すれば、同じ傘を組み合わせて避難用の住宅になるようにしたのが、ミラノで発表した「カサ・アンブレラ」です。傘の外周部分にジッパーがあり、15個の傘をつなげて1つの住宅ができる仕組みです。傘の骨は細いですが、それでも耐久性が高いのは、膜と骨が一体化している「テンスグリティ構造」だからです。このときは学生が自分たちで組み立て、そこに泊まりました。「自分でつくる」の実体験です。
こうした「小さな建築」には、私たちの未来の「住み方」「暮らし方」を広げてくれる大きな可能性があります。日本女子大学の建築デザイン学部で学ぶみなさんには、「大きくて偉そうで他人がつくる建築」から「小さくて控えめでかわいくてやさしくて自分でつくる建築」へと転換する時代の波に乗り、建築の未来を切り拓く新時代のリーダーになってくれることを期待しています。
本学の江尻憲泰教授と本学の卒業生で株式会社Studio Tokyo West一級建築士事務所代表である瀬川翠氏を交えての
パネルディスカッションを行いました。コーディネーターは、朝日新聞社編集委員・デジタル企画報道部編集長の山下知子氏が務めました。