現代の教育問題を「歴史」のなかに読み解いていく
私の専門は、日本教育史・女子教育史です。特に興味を持って研究しているのが、明治時代以降の女性教員についてです。今から100年前。産休も育休もない時代に、女性教員たちは「仕事と家庭の両立問題」をどう捉え、乗越えようとしていたのか。両立問題という男女共通の課題や男性教員との格差の問題を歴史的に考えています。
私が明確に研究者を志したのは、高校生の頃です。今思えば、母が同じ研究者だったことの影響は大きかったですね。また、父の勤務の関係でアメリカに行く機会も多かったので、自身の大学での専攻は漠然とアメリカ文学にしようと考えていましたが、進学した学部に文学の専攻がなく、「日本史も面白いよ」と先生に勧められて史学専攻のコースに入りました。その中で学んだ女性史で、本学卒業生の平塚らいてうや、彼女が発刊した女性文芸誌『青踏』など、戦前期の女性運動家やその周辺について深く知りました。文芸作品を通して自らの意思を伝えた当時の女流作家の存在に、もともとの文学への興味に近いものを感じ、女性史に強く関心を持つようになったのです。また、史料を積み重ねて実証していく研究作業に面白さを感じたことも、この道に進む大きなきっかけとなりました。
大学卒業後は、社会科教育学を専門に学ぶ大学院と教育史を専門に学ぶ大学院との2つの大学院を修了し、他大学での3年間の勤務を経て、本学に着任しています。現在、教育学科では、日本教育史や女性教育史論といった授業を担当しています。「教育史」とは、過去に生きた人々の足跡に、これからの教育を創造する力や現在の教育問題を打開するヒントを得る学問です。自分に身近な事例や現代社会に即して、過去の子どもや親や教師などの姿をリアルに捉えることで、複雑・高度化していく現代社会と教育の可能性を見通すところに、「教育史」の面白さがあります。ぜひ、高校生のうちから「歴史的な出来事の背景には、どんな政治的、社会・経済的な意味があったのか?」という観点を持って学んでください。それが、現在の社会や未来を見通す力に結びついていきます。

「女性教員の仕事と家庭の両立」問題を、多面的に読み解く
①「職業婦人」と「母性保護論争」
明治時代初期、教員は庶民から人気がある、ステータスの高い職業でした。ところが、日清・日露戦争を境に急速に近代化・産業化がすすむと、教職よりも高収入で安定した職業が増加し、男性教員数が減少し始めました。さらに、1900年に義務教育の授業料が無償化され就学率がほぼ100%になったことに加えて、1908年から義務教育期間が4年から6年に延長されるようになると、教員不足が一層深刻になりました。
そこで白羽の矢が立ったのが、女性教員です。明治時代も後半になると、医師や教員などの男性がメインだった職に女性も就くようになり、そうした女性は当時「職業婦人」と呼ばれました。特に女性教員はほかの職業婦人と比べて身分が安定しており、結婚後も仕事を続ける割合が高い傾向にありました。ただ、男性教員よりも賃金が低いなどの理不尽や、「仕事と家庭の両立」の問題にも直面していました。そうしたなかで、1918年に歌人の与謝野晶子や作家の平塚らいてうなどにより、働く女性の自立や子育てについて論じる「母性保護論争」が起こりました。女性の権利や社会的地位向上を求めるムードが世の中に広まったのです。
②「女性教員」の複雑な気持ち
当時、全国的な教育者団体である帝国教育会は、女性教員たちの意見を聞く場として「全国小学校女教員大会」の開催を始めました。1917年に開催された第一回全国小学校女教員会議(第一回のみ会議、第二回以降は大会)では「有夫女教員問題」として、女性教員の「仕事と家庭の両立」問題や、既婚女性教員と独身女性教員の長所・短所について議論されました。その後、断続的に10年余りにわたって議論が繰り返され、1927年に開催された第七回全国小学校女教員大会で、「部分勤務制」という呼称で、現代でいう育児・介護休業の制度案の可決に至ります。スムーズに決定したと認識されている一方で、近年の議事録などの再調査により、女性教員たちはこの制度の導入に反対していたことがわかりました。その理由は「男性教員が多いなかで育休・介護休業を取得すると、賃金平等や管理職登用などがさらに望めなくなってしまう」というものです。国側の本音は「低賃金のまま女性に働き続けてもらいたい」ということであり、部分勤務制の整備は「母性保護」の旗の下、本音を隠すためのパフォーマンスだということを女性教員たちは見抜いていたのです。
また当時、女性教員は子どもに生活習慣を身につけさせるためのケア(母性)を主に求められ、勉強面の指導は、男性教員に大きな期待をされていました。しかし、女性教員たちは、決して「母性」だけではない「教員」としての誇りを持っていました。そして両立への支援が欲しくても、それを要求することで男性側の不満を増幅させ、一層弱い立場に追い込まれることのないよう奮闘していたのです。
こうした社会構造は、あくまで歴史として検証するからこそ明らかにできることで、同時代的に把握することは難しいこともあります。だからこそ研究することに意味があり、現代における同様の問題にどんな解決のためのヒントを与えられるかまで結びつけて考えることが大切です。

ゼミで明治時代の女性向け雑誌の付録について解説する様子
歴史の研究には、事件の証拠集めをする探偵のような面白さがある。
ジェンダーに関する問題を、本学のような女子大という場で学べるメリットは大きいと思います。
本学科の学生は、約8割が教員免許を取得し、卒業後はその半分程度が教員になります。当然、卒業生の進路で最も多い選択肢です。その職業のワークライフバランスやキャリアの歴史を対象とする私の研究は、学生の皆さんにとっての「未来の自分事」を示すものです。ここで学んだことが将来、現場での課題解決に役立つこともあるでしょう。たとえ教員職に就かなかったとしても、「仕事と家庭の両立」問題は、社会に出れば必ず考えることになります。この問題が早くから議論されていた教育界のことを学べば、将来どんな業界でも役立てることができると思います。
近現代史の学びは、現代の生活とより密接につながっており、だからこそ将来のためになるヒントがたくさん得られる学問だと考えています。その学びをより深いものにするためには、やはり自分の足で動き、史・資料を読み、考えることが大切です。例えば「ある地域で〇〇という制度案が可決された」という史実を目にしたとします。ところが、その地域に行き当時の議事録を読んでみると、多くの人がその制度案に反対の声を上げ議論を白熱させていたなか、議長が突然遮り「可決」として議論を終了させた、という記録が残されていたりします。最初の印象とかなり違いますよね。そして歴史の研究では、こんなことは日常茶飯事。まるで事件の真相に迫るために証拠を集める探偵のようで、この研究が面白いと思える点の1つです。行動を起こしてこそ前に進めるという感覚をつかむことは、将来どんな道に進んだとしても役に立ちますし、今の社会はそんな行動力のある人を求めているのです。