土にどんなものがくっつきやすいかを研究。
専門は環境化学・地球化学です。昔から化学が好きで、数学や物理と違って実際に対象を見たりさわったりできるところに面白さを感じていました。環境に興味がわいたのは学生時代で、ちょうど環境という言葉が世間で注目され始めた頃でした。今は土の研究にフォーカスしています。土は食や住を支える生活の基盤ですし、自分の手で見たりさわったりできるので。
特に力を入れて研究しているのは、土と水の間で生じる吸着という現象です。例えば、雨が降って土に染み込み、地下水となって流れていく。その際に雨水の中のどんな成分が土にくっつくのか、もしくはくっつかずに流れていくのかを研究しています。土の成分は非常に複雑で、土の成分やそこにいる微生物の種類は採取場所によっても大きく異なります。これだと、実験でどの成分がどのように影響したのかを見極めるのが大変になってしまうのです。そのため研究では実際に自然にある土ではなく、成分をなるべくシンプルにした「理想的な土」を用意し、実験しています。ですから、研究は基本的には室内で行っています。
もちろん、現場を見たり知ったりすることも大切です。室内の実験で明らかになったことが、実際の環境とどのようにつながっているのか、学生と一緒に現場に出かけて調べることも行っています。そこで非常に役立つのが、神奈川県川崎市にある本学の西生田キャンパスです。敷地の一部が自然豊かな里山で、コナラやクヌギの森があり湧き水が出る場所もあります。つまり、この場所で雨、土、湧き水を採取・分析すれば、先ほどお話しした土と水の間の吸着を実際の環境中で起きている現象として把握できるのです。また、ここは都会の、人の暮らしに近い里山であることもポイントです。世界には大きな山や広大な森林をフィールドとして研究している人が多いのですが、人間活動の影響を強く受けた森、つまり周囲に多くの人が住んでいる里山を対象とした研究はあまりありません。ですから、ここは研究する者にとって希少価値が高い場所であるとも言えます。
この里山もかつては放置されて荒れていました。2006年から本学の教員がこの里山を保全するプロジェクトを立ち上げていて、私も参加しています。学園関係者が参加して様々な作業をしながら森を適切に管理していくことは、共生について学ぶ貴重な体験であり、この素晴らしい研究環境を守ることにもつながっています。
森と土は、地球の浄化フィルター。
吸着は、普段の生活のなかでもさまざまなところで役立てられています。冷蔵庫内の臭いをとる活性炭や、水道水の浄化に使うフィルターなどが代表例で、これらを吸着材と呼びます。吸着材の性能を決めるのが、表面積と吸着力です。表面積が大きいとそれだけ吸着量も増えるので、吸着剤にはたくさん穴のある素材を用いる、もしくは人工的にたくさんの穴をあけて、表面積を大きくします。こうした材料を多孔体と呼びます。目的の物質を吸着する力である吸着力に関しては、ただ強ければいいのではありません。例えば、植物を育てる際に養分に対する土の吸着力が強すぎると、植物が吸収できないので成長につながりません。逆に弱すぎるとすぐに流れ出てしまい持続的な効果が得られない。表面積と吸着力、ともに用途に合わせた適度なバランスが求められるのです。
これを地球規模で考えると、森は地球の浄化フィルター役をしていることがわかります。しかも森林は、木の葉と土の2段階のフィルターになっているのです。葉は表面積が大きいので、大気に含まれるさまざまな物質を付着して取り除きます。これらが雨で流されたり落葉したりしても、今度は土のフィルターに到達する。土もこれまた莫大な表面積ですので、森林が周辺の水や空気の浄化に役立っていることは容易に想像できますよね。吸着材が吸着できる物質の量には限度があります。木の葉や土が許容できる汚染物質の吸着量を超えないように、汚染物質そのものの発生を抑制することが重要だと考えられます。
葉っぱの表面にマイクロプラスチックが存在する!
皆さんはマイクロプラスチックをご存知でしょうか。5 mm以下の小さなプラスチックのかけらのことで、洗顔料や歯磨き粉のザラザラしたものがその一例です。ウミガメやクジラのお腹からたくさん見つかるなど、海洋生物への影響が注目されていますので、マイクロプラスチックは海にあるものと考えられていました。しかし、最近は大気中にも相当量存在するらしいことがわかってきています。
大気中にマイクロプラスチックがあるのなら、森林の木の葉のフィルターに捉えられている可能性があります。私のゼミには、まさにこの可能性について研究をしている学生がいます。彼女は西生田キャンパスのコナラの葉から実際にマイクロプラスチックを検出したのです。ただ、そこに至るまでは苦労の連続でした。最初は森林の木の下で雨を集めれば、その中には葉から洗い流されたマイクロプラスチックが見つかるだろうと考えていたのですが、まったく見つからない。それでも諦めずにさまざまな手法で探した結果、大気中のマイクロプラスチックは確かに森の木の葉の表面に捉えられているけれども、葉の表面にある細かな毛に絡まっていたり、葉の表面を覆うワックス層などに付着していて雨で洗い流されないことを突き止めたのです。特に後者は、吸着と深い関係があります。化学の世界では「似たものどうしがくっつきやすい」傾向が見られます。プラスチックは油に近いので、油に似た葉の表面のワックスに吸着しやすいのかもしれません。学生は色々試してもマイクロプラスチックが見つからずに涙目になっていましたが、約1年の時を経て、ついに発見できたときの喜びようといったら、それはもうすごかったですね。それは、なぜ見つからないか、その原因について仮説を立て、それが正しかったことを証明した瞬間でもあります。研究者としての醍醐味はそんな瞬間にあるのだと思います。
彼女の研究により、森林の木の葉は大気中のマイクロプラスチックに対してもフィルターとしてはたらき、大気を浄化している可能性が確認できました。現時点で西生田の森林が大気中のマイクロプラスチックをどの程度取り除いているのかは不明ですが、地球レベルで考えれば木の葉がフィルターとなり、大気から取り除かれているマイクロプラスチックは相当な量なのではないかと予測できます。このような事実を知っておけば、「森や木を大切にしよう」という気持ちにはなりますよね。また、そもそもマイクロプラスチックをこれ以上増やさないため、私たち1人ひとりが生活のなかで意識していくことも大切でしょう。
理学の研究スキルは、これからの社会に必要な能力。
研究の一番の魅力は、自分で仮説を立てて、それを自分の手で明らかにできることだと思っています。1年かけて葉っぱからマイクロプラスチックを発見した彼女しかり、やっぱりその達成感に尽きます。それに、実験で予想と違う結果が出ることも一種の楽しみです。世紀の大発見なんかは失敗や偶然などから生まれたものも多いですから。
こうしたトライ&エラーの経験は、実は社会に出てから大きく役立つスキルなのです。仮説を立て、検証をし、よりよいアウトプットをめざしていく……そんな働きぶりは、社会で活躍するビジネスパーソンそのもの。多くの仕事やSDGsをはじめとした社会課題には、決まりきった答えがありません。だからこそ、自ら考えて実践していく研究者のような力が求められるのです。理学部と聞くと、どうしても浮世離れしたことに取り組んでいるイメージを持たれることがあります。ところがそんなことはなく、むしろこれからの社会に必要な能力を身につけられる場所なのだということを、私は声を大にしてお伝えしたいですね。