虐待した親は、むしろ子育てに一生懸命なのです。
専門は児童福祉です。「児童」と聞くと、小学生くらいの子どもを想像するかもしれません。
しかし児童福祉では、お母さんのおなかの中にいる胎児から18歳未満の未成年者まで、幅広い年代を対象とします。それだけに取り組むべき課題はたくさんありますが、なかでも虐待の研究に力を入れています。
児童養護施設に勤めていた頃、特に多く接していたのが、親から虐待を受けた子どもでした。虐待は絶対に許されないことです。しかし親との面談を重ねるにつれ、必ずしも暴力的な人ばかりではなく、むしろ子どものために一生懸命な人が多いことに気づきました。
周囲の助けを得られず経済的、あるいは精神的に余裕がなくなり、そのストレスのはけ口を子どもに向けてしまったのです。「虐待した親に問題があるのではなく、親をここまで追い込んだ環境にこそ問題があるのでは?」と思うようになりました。そのため、養育環境が悪化したストレスで暴力が引き出されているケースでは、まず親の環境を整えることから始め、それから子育てのアドバイスなどを行うようにしています。
とは言え、子どものケアは最優先事項です。虐待を受けた子どもは、暴力的だったりコミュニケーションが苦手だったりして、うまく人間関係を築けないことが多いのです。私は当時、そうした子たちと話すときには、手にパペットをつけて会話するなど工夫して接していました。そんな経験を生かし、現在は保育所の保育士向けに、虐待を受けた子どもへの対応方法を身につけてもらえるような取り組みを行っています。
また本年度のゼミでは、児童養護施設で高校卒業まで暮らしていた方で、自身の体験を本にまとめて出版された方(田中れいかさん「児童養護施設という私のおうち――知ることからはじめる子どものためのフェアスタート」旬報社, 2021年)から話を聞く機会をつくりました。施設で暮らす子どもたちの様子や気持ちを学生たちが聞き、どんな支援が必要かを考えるきっかけになればと考えています。

保育士は、海外から来た母親を救うキーパーソン。
日本は少子化によって働き手が減っています。将来的には移民に頼ることになるでしょう。しかし今の日本は外国にルーツのある子育て中の女性にとって生きづらい環境といえます。そこで私は、外国にルーツのある子どもの親支援にも取り組んでいます。
では、生きづらさの原因とは何か。以前、ドイツに移住した日本人女性にインタビューした際「日本の理想の母親像から解放された」という声を聞きました。毎日お弁当を作らなくてもいい、忙しい日はパンとハム、チーズだけでいい、夫も一緒に家事・育児をしてくれる。このようにドイツでは母親に「日本の理想の母親像」を期待しません。この状況を体験することで、改めて周りからの期待や「こうしなければいけない」という自身の中にある規範意識が母親としてのストレスにつながっていたことを理解したそうです。ではその逆はどうでしょうか。「日本の理想の母親像」を期待されない国で育った女性が日本で子育てをしたら。日本で育った女性以上に負担を感じると思います。日本では外国で生まれ育った女性であっても「子育て、家事、介護は女性の役割」、「料理や子育てには手を抜いてはいけない」という価値観を押しつけられるのです。そんなことが実際に起きています。他にも、夫が日本人の場合、夫と子どもが日本語で話すので会話に入れない、母国の習慣を受け入れてもらえず自分のアイデンティティーを否定されたような寂しさがあるなど、海外出身の母親は孤立しやすいのが日本の現状です。
そこでキーパーソンとなるのが保育士です。保育所では子どもを預かるとき、お迎えのときの毎日2回、必ず親と接するからです。日本語が得意でない方は何も話さずに帰ってしまいがちですが、保育士から積極的にコミュニケーションをとって、何でも相談し合える関係性を築いていくことが大切だと思います。彼女たちの孤立を防げるのは身近な保育士だからこそ。このことは保育士を志す学生にも常々話しています。
虐待を減らすため、カンボジアのお母さんの手に職を。
ゼミのフィールドワークとして、学生とともにカンボジアの児童養護施設や小学校の訪問なども行っています。この取り組みは大学公認の短期研修として認められ、児童学科の他の学生も参加することができるようになっています。カンボジアは過去の内戦によって教師をはじめとする知識人が大量に虐殺され、教育が行き届かない状態が続いたことで経済発展が進んでいない、貧困家庭の多い国です。そのため多くの小学生は、読み書きを覚えたタイミングで親に学校を退学させられ、労働を強いられることもあります。大人へと成長していくうえで重要となる教育を十分に受けさせない行為は、立派な虐待です。しかしながら、親としては生活していくためにお金が必要なので、子どもにも働いてもらうしかない……。学生がこの状況を現地で実際に見ることは、虐待のことをさまざまな視点から考えるきっかけとして大きなインパクトを与えています。
ゼミではさらに、NPO団体主催のカンボジア裁縫プロジェクト(特定非営利活動法人アジアの子どもたちの就学を支援する会(ASAP)によるMother to Mother)にも参加しています。コロナ禍で直接カンボジアに行けなくなり、日本で何か支援ができないかと考えたことがきっかけです。このプロジェクトは、カンボジアの小学校に子どもを通わせているお母さんたちが手に職をつけられるよう、裁縫を教え、作った作品を日本で販売する取り組みです。もちろん利益は製作者に還元します。こうして雇用を生み出すことは、貧困をなくすこと、子どもに教育機会を与えること、ひいては児童虐待を減らすことにつながります。この有意義な活動に本学も強く共感しており、大学祭で学生たちの手によって作品を販売しました。

カンボジア裁縫プロジェクトで縫製の技術指導を行う様子

カンボジアのお母さんが作った作品を販売している様子
体験を通じて「寄り添う」ために最も大切なことを知ってほしい。
冒頭でお話ししたように、本科では幅広い年代を対象として「児童」を研究できることが特徴です。幼児期の発達が小学生ではどんなふうに表れ、思春期の反抗にどうつながっていくのか。親との関係や、親の環境が子どもにどう影響するのか。このように胎児期から成人前まで、さらには親も含めて掘り下げた研究ができるところに面白さがあります。
しかし、学校でできるのは教えることだけ。学生たちにはアルバイトやボランティアなど、どんどん体験してほしいといつも言っています。体験することではじめて理解できることがあるからです。例えば、虐待を受けた子どもを一時的に保護する児童相談所の一時保護所でアルバイトをしている学生がいます。保護された子は、そこにいる間は学校に行けず、家にも帰れず、いつどこに行くことになるのかもわかりません。学生は子どもの不安や葛藤を肌で感じ、どうすれば少しでも安心して過ごせるかを考え毎日一生懸命考えたそうです。まさに、学校ではできない貴重な学びがそこにあったと思います。他には、バックパッカーで日本と東南アジアを何度も行き来していた学生もいます。彼女は最終的にはアパレル業界に就職しましたが、文化や価値観の違いを超えて人とふれ合った経験は、どんな道に進んでも活きてくるでしょう。
すごく恵まれた人、困った状況にある人、子どもを虐待してまった親……世の中には本当にさまざまな人がいます。本科で学ぶ学生には、そんな人を見たときに「自分とは関係ない」と決めつけるのではなく「私も同じ状況に置かれたらどうだろう」と考えられる人になってほしいと思います。それが、寄り添うということの最も大切な部分であり、より多くの学びを得られる人の姿勢でもあると考えています。

カンボジアの子どもたちと学生