映画も音楽も、バックグラウンドを知ればより好きになる。
主な研究内容はアメリカの人種問題についてです。非常に複雑で、歴史的、文化的にも広範囲な問題なので、他人事と思っている人も多いかもしれません。でも、意外と身近な問題であることを、学生にはよく伝えています。
授業の冒頭などでよく話すのは、アメリカの音楽や映画といったポップカルチャーについてです。たとえば近年の例だと、ブルーノ・マーズが好きな学生がいるとします。そこでただの「好き」にとどまらず、どんな人なのかを調べてみる。すると、実は黒人にもルーツがあるなどの背景がわかっていきます。では黒人はアメリカではどんな存在なのか……といった具合に、歴史や文化の研究に入っていくのです。
私は年度の始め、学生に「アメリカの音楽を聴いたり映画を観たりして『わかった』と言っている人は10分の1もわかっていない」と、あえて挑発的に伝えます。アメリカの音楽や映画に、アメリカの歴史や文化の観点が含まれるのは当たり前です。そこを理解しないと、その音楽や映画を本当の意味で楽しめているとは言えません。学びを進めていくと、学生からは「映画のあのシーンは、あの事件のことだったのか」「テイラー・スウィフトが言っていることの意味がわかった」といった感想が聞かれるようになります。
もちろん、音楽や映画はそのままでも十分楽しめます。でもアメリカの歴史や文化、社会問題など多くのバックグラウンドを知ることで、もっとアメリカに関するあらゆるコンテンツが楽しめて、もっと好きになることができるのです。人生の豊かさにつながっていると言っても過言ではないでしょう。そのため学生には常々「好きなことやおもしろいと感じたことはどんどん調べてほしい」と話していますね。

不良には、罰よりも公園を与えよ。
アメリカの人種問題を扱う者としては、この話題にふれないわけにはいきません。2021年5月25日、黒人のジョージ・フロイドさんが白人警官に首を圧迫され亡くなってしまう事件が起きたのは記憶に新しいところです。その様子を撮影した動画の拡散をきっかけに、いわゆるBlack Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター:以下BLM)の運動は爆発的な広がりを見せました。実はBLMという言葉は、この事件によって生まれたのではありません。何年も前から存在し、使われてきた言葉だったのです。
黒人は何十年も、それこそ半世紀以上前から同様の事件をいくつも経験しており、その都度「これはアメリカ社会の構造的な問題だ」と訴え続けてきた歴史を持っています。それでも「アメリカに人種差別などない」「犯罪を犯さなければいいだけ」などと社会からは冷たく言い返されてきました。日本でも「現実として黒人の犯罪率は高い」といった発言が散見されます。でもむしろ問題の本質は、黒人が犯罪率を高めてしまうような社会の方にあると思われます。そもそも黒人は貧困地域に住んでいることが多い。そのような地域では公園などの公共施設や図書館、学校も少なく教育の機会が不足しがちで、自然と犯罪発生率は高まってしまいます。犯罪を犯した「不良」に罰を与えるという事後的な解決でなく、不良も楽しめる公園を整備することで犯罪を減らす、そんな予防的解決が求められるのではないでしょうか。そのためBLMの活動はずっと前から、事後的な解決ばかりの警察、および刑務所を廃止することをひとつのビジョンとして掲げています。
黒人は社会に訴えるだけでなく、自らのコミュニティをサポートする活動も地道に続けてきました。朝ごはんを食べられない貧困家庭の子どもたちへ朝食を提供したり、病院に行けない人のために医師や看護師の研修生を連れてきて無料で治療したり、不登校の子に教育機会を与えたり……。これらの活動は現在も存続しており、多くの黒人を助けています。
このように、今回のジョージ・フロイドさんの事件は、アメリカにおける黒人差別の歴史のほんの1ページを見ているに過ぎないのです。
Black Lives Matterの正しい訳は「黒人の命も大切」ではない。
「BLMに関する画像をネットで検索してみて」と、よく学生に話します。改めてそれらを眺めていると、デモの先頭に立っているのは黒人女性が多いことに気づかされます。これは、BLMの活動がジェンダー平等も大きな問題としてとらえていることの証左です。「黒人」の差別と「女性」の差別、双方を経験してきた彼女たちの苦しみはより大きかったのではないかと想像できます。実は、差別はものすごく簡単に生み出されてしまうものなのです。必要な条件は「女性、もしくは黒人には〇〇が適している」といった発想だけ。たとえば「女性はおもてなしが得意」とすると「交渉は男の仕事だから女性はお茶を出していればいい」との差別が発生します。「黒人は身体能力が高い」とすると「スポーツ選手としてならいいが、頭を使う監督の仕事はできない」といった思い込みにつながることもあるでしょう。SDGsが語られるずっと以前から、彼女たちはジェンダー平等に取り組んでいたのです。
先にお話しした貧困地域での活動なども含め、BLMは単なる「黒人による白人警官への怒りの運動」ではないことがおわかりいただけたかと思います。実際に、人種、ジェンダー、貧困、健康、教育など、現代社会が構造的に持っているたくさんの課題に対してアプローチしています。それらは複雑に絡み合ってできた大きなひとつの問題として取り組んでいくべきという視点に立っており、そのスローガンがBLMとなっているだけのです。私はBLMを「黒人の命も大切」とは訳しません。Livesには「生活」の意味も含ませるべきだと考えます。つまりBLMの活動は「私たちみんながこの社会生活をどう考えていけばいいのか」という非常に大きな規模の投げかけをしているのです。
工場の跡地で畑を耕し、貧困地域を再生!
黒人の問題は、環境正義の問題とも強く結びついています。シカゴのBLM幹部ダラ・クーパーさんは、貧困地域の食問題対策に力を入れています。黒人の住む貧困地域には、かねてより食べ物の選択肢が少なく、しかも価格が高いという問題がありました。飲食店もファストフード店くらいしかなく、一般の家庭で新鮮な野菜が手に入ることはほとんどありません。
彼女たちが目をつけたのは、シカゴなどで廃墟となった工場やその敷地でした。工場地帯として発展したそれらの地域では、もともとたくさんの黒人が働いていました。しかし、1970年代に経済状況が悪化し、多くの工場が閉鎖されるとともに失業者が続出し、次第に黒人の貧困地域と化してしまったのです。彼女はそこで廃墟となっていた工場を食料庫として、周辺の敷地を耕作地として利用することで、農業による地域再生をめざしました。ほどなくして、そこで採れた農作物をふるまうカフェなども少しずつ現れます。黒人の手で丁寧に作られた有機栽培の農作物や、それを使用した料理は、富裕層たちに健康でおしゃれなイメージを与えました。黒人によるただの自給自足だけでなく、これらの地域に新しい経済循環をもたらすことにも成功したのです。
最近はBLMの活動をあまり聞かなくなり、活動はもう終わったのではと思っている人も多いのかもしれません。まったくそんなことはないのです。なぜなら、今日も多くの黒人が、この流れでひとつだけ象徴的な例を挙げると、都市のなかの農園で畑を耕しているのですから。
英語力は、グローバルで活躍するための第一歩。
多くの若い人は、アメリカは「自由の国」「機会の国」とイメージするでしょう。そんなアメリカを学びたい、将来はアメリカで働きたい、といった人も多いかもしれません。でも、少しだけ立ち止まってみましょう。BLMの活動は今も続いています。その一方で、半世紀前には投票権すらなかった黒人から大統領が生まれる時代にもなりました。そんなさまざまな問題や変化が渦巻く国なのです。だからこそ、奥が深く、面白い。多くの人びとが、アメリカは「多民族」で多くの文化が入り交じる、世界の縮図のような国だと考えています。アメリカのことを学べば、世界の問題を解決する際に役立つことは多いでしょう。ですが、何よりもまず必要なのは英語力。本科で英語を学ぶとともに、文化や歴史、そして差別や犯罪、貧困など社会問題も含めてその国を理解することの意義を学び、そのうえでグローバルに活躍する将来を描いてほしいですね。