|特集2|
日本女子大学に関わる人々の
精神的な核となるミュージアム
成瀬記念館

本学と女子高等教育の歴史を伝える成瀬記念館が、学園の学びをサポートします

大学の正門を入り、左手に見える赤煉瓦の建物は、創立者・成瀬仁蔵の教学の理念と学園の歴史が収められた成瀬記念館です。

成瀬記念館が建てられたのは1984年、本学創立80周年記念事業の一環です。それ以前には、附属豊明小学校・幼稚園の最初の校舎(一号館)がこの場所にありました。成瀬記念館の内部には、取り壊された一号館の木材の一部が再利用されています。

昨年、成瀬記念館の2階にある収蔵庫に不活性ガス消火設備が設置されました。あわせて空調設備の改修工事も9月から11月にかけて行われ、展示・収蔵環境が飛躍的に改善された成瀬記念館が誕生しました。

消火設備工事の様子をはじめ、収蔵資料の詳細、収蔵品と関連のある研究に関する寄稿などは、年1回発行される冊子『成瀬記念館』に掲載されています。

たとえば2023年版の『成瀬記念館』の巻頭には、篠原聡子学長が「未来を創る手がかり」として、7月まで展示されていた「日本女子大学の授業――家政学部・社会事業学部」について綴られています。社会事業学部が誕生した経緯と、その後家政学部三類と名称変更せざるを得なかった理由など、非常に興味深い内容です。

他にも未発表の資料紹介や成瀬記念館の活動の記録も掲載された『成瀬記念館』は、2011年度版からデジタルアーカイブでもご覧になることができます。

2階の瞑想室に掲げられた成瀬仁蔵の書「三綱領」。通常は作品保存のため複製を展示しています。絹本に書かれた現物を拝見できるのは120周年など特別な場合です。成瀬記念館より告知いたしますのでご注目ください。

瞑想室正面の壁面に見えるのは、「生命の樹」と名付けられた、円形のステンドグラスとその周囲を取り囲む壁面の木製パネル。ここにもかつての一号館の木材が再利用されています。

展示室では主に学園史を中心にした資料を紹介しています。東京都教育委員会から博物館相当施設に指定されており、学園外の方々でも自由に入館できます。

展示のご案内:井上秀、大橋広の時代 激動の昭和とふたりの校長

2023年9月21日(木)~12月20日(水)

成瀬仁蔵は「男子の身であるからただの縁の下の力持ちをやって来たに過ぎません」と述べ、本学を卒業した“母校の娘”が継承者として、女子教育の要となることを望みました。この期待に応えたのが、井上秀と大橋広です。ふたりは太平洋戦争とその敗戦という激動の時代において、校長・学長の重責を担います。本展では、本校の総領娘(長女)たちが学生たちとともに作りあげた学園生活の様子を、大人紙芝居やエプロンモンペといった資料と共にご紹介します。


古川元也教授に聞く
博物館学の視点から見た成瀬記念館

成瀬記念館主事・文学部史学科教授 古川元也先生

成瀬記念館では成瀬仁蔵の生涯を紹介する常設展示に加えて、年間3~4本の展示を行なっています。

定番のテーマは2つ。1つは本学の授業シリーズで、本学の歩みを授業を通じて概観し、当時の学生のノートなども展示されます。もう1つは軽井沢夏季寮の様子について。三泉寮で行われた夏季学校の資料のほか、桜楓会の機関紙である『家庭週報』の関連記事などを用いて展示されています。あとの2回は本学にゆかりのある方々の展示が行われます。

本年6月から7月にかけての展示は、「日本女子大学の授業――家政学部・社会事業学部」でした。展示を閲覧しながら、本学における成瀬記念館の果たす役割や、本学の歴史を未来に残す意義などについて、成瀬記念館主事・文学部史学科の古川元也教授にお話をうかがいました。

古川元也先生【プロフィール】

研究テーマは日本中世史、中近世移行期史、宗教社会史、博物館学、資料研究。慶應義塾大学文学部卒業。「私の母校も創立者の影響力が大きい学校です。昨年、展示施設をオープンしました。本学における成瀬記念館の成り立ちとの間に共通性を感じています」。

創立者の歴史のみならず、日本の女性の学ぶ姿を知ることのできる博物館

成瀬仁蔵に関する資料は本学の歴史を知るだけでなく、日本の女子高等教育の歴史を知る上で欠かせないものです。

成瀬仁蔵の教育理念は、実践倫理という講義からうかがい知ることができます。実践倫理とは、学問のための学問や形而上的な倫理学ではなく、学問はプラクティカル(実践的)なものであってこそ人の役にたつということを示した講義でした。講義の中で成瀬仁蔵は、生活のこと、勉学について、世の中についてなど実にさまざまなことを講義しています。成瀬は自身について「教育によって社会を変える社会改革者である」と話していますが、実践倫理はまさに社会を変えるための実践をする講義であったと言えるでしょう。

成瀬が全学生あるいは卒業生に向けて行なった講話を収蔵した「実践倫理講和筆記」は年度ごとに綴じられて、成瀬記念館に所蔵されています。

私学初の女子高等教育機関として創立された本学が、100年以上も続いているのは、成瀬仁蔵が人から共感を得ることのできる才能を持っていたことがまず一つ。そして麻生正蔵、渋沢栄一と、その後の歴代校長が女子高等教育機関としての確固たる基盤を整えることができたからと言えます。

100年続く学校は他にもありますが、創立者の資料を集積、研究センター化して自校教育に積極的につなげている学校は少ないと思います。日本女子大学は、創立者の影響力が強い学校だからこそ、その理念の継承が大学関係者によって重視され、関東大震災も戦争も乗り越えて資料を残すことができたのではないでしょうか。

さらに創立者に関する資料のみならず、本学にゆかりのある教員の資料、卒業生の資料、学生の書いたレポートやノート、実習の成果物、卒業論文などがきちんと保存されている、「博物館」と名乗ることのできる資料館を持つ学校は少ないと思います。これらの資料からは、戦前、戦中、戦後まもなくの時代に、日本の女性が何を考え、どのような意思で本学に集い、どのように学んでいたかを知ることができます。

成瀬記念館は研究・探究テーマの宝庫です

現在(2023年7月)行なっている、「日本女子大学の授業――家政学部・社会事業学部」の展示の中には、多くの学生のノートがあります。たとえば1931年の社会事業学部1年生のレポートに「フランス革命前及び、当時における一般社会思想」があります。当時の学生の学びに対する姿勢が現在の学生にいい影響を与えていると思います。内容、装丁、文字の美しさすべてにおいて、見学に来た学生や附属校生が驚いている様子をしばしば目撃しています。

この社会事業学部は戦前に設置された学部です。同部の女工保全科では、女性の社会進出と共に労働環境が悪化する社会状況を是正するにはどうしたらいいかを学んだものと思われます。実習先として松沢病院や小菅刑務所などの写真もあり、当時の社会政策を学んだのでしょう。

教師には高橋誠一郎や戸田貞三の名前があります。このような有名な社会学者は東京帝国大学(現・東京大学)に籍を置きながら、本学の専任教授として教鞭を執ることができたようです。

社会事業学部は当時としては先進的な学部であったと思われますが、その名称から、社会主義を教える学部と誤解されて不人気になり、廃止になってしまいました。それでも学びの伝統は、現在の人間社会学部に継承されて繋がっています。

家政学部のコーナーには、昭和18年にフランス料理を学んだ学生のノートがあります。社会的には戦時色が色濃い時代で、贅沢品は禁止されていたと思われますが、本学は私学だからこそできた授業ではないかと推測されます。たとえばお茶の水女子大学の前身、東京女子高等師範学校では、この時期、集団勤労作業真っ盛りで、寮生活の学生の食事の内容も非常に貧しいものであったことがうかがえます(『お茶の水女子大学百年史』)。同校の家政科にも調理に関するカリキュラムがありますから、その内容を比較検討していただければ、興味深い事実が明らかになると思います。

博物館(museum)の面白さとは

博物館は、本物に触れることのできる場所です。近年はいろいろなものがデジタル化されてアーカイブスとなり、博物館に足を運ばなくてもイメージをつかむことができますし、資料について知ることもできます。しかし博物館に足を運ぶと、本物を間近に見るワクワク感があります。「今、まさに歴史に触れている」という高揚感を感じることもあるでしょうし、成瀬記念館のように、時代は違っても、同年代の人は同じようなことを考えていたのだなと、奇妙な安堵感を感じられることもあるでしょう。資料館も植物園も動物園も水族館もすべて博物館を構成しているものですが、バーチャル植物園や水族館を考えれば魅力的でないことがわかるように、モノを自分の目で見るからこそ感動があります。実物感が希薄になったデジタル化時代だからこそ、リアリティを大切にすべきであると考えます。

博物館は、100あれば100通りの個性があります。成瀬記念館は、いわゆる博物館の機能とアーカイブの機能を併せ持つミュージアムです。

本館の収蔵物は必ずしも、博物館として優れた歴史的資料だけで構成されているのではないかもしれません。しかし日本女子大学の歴史がここに凝縮されており、本学園に関連する人々の精神的な支柱になっているのだと思います。このような精神的なコアが存在することは、大学博物館の大きな意義となっています。

本学の自校教育、「教養特別講義」では、必ず成瀬記念館についての講義が含まれます。リカレント教育講座の中でも、成瀬仁蔵を軸とした本学の歴史に関するプログラムが組まれることがあります。

附属校園の児童、生徒さん、大学以上の学生さんには、先輩方がどのように学んでいたのかを知るために、成瀬記念館を活用していただきたいと願っています。また、本館で探求したい手がかりを発見したら、さらに掘り下げて学びを発展させてほしいと思います。成瀬記念館には学園の歴史が詰まっています。多種多様な卒業生たちが、社会のさまざまな分野で活躍していることも理解できると思います。そこに本学の社会的なすそ野の広さや伝統を感じていただければ幸いです。

大正6年、三泉寮の大もみの木の下で行われた成瀬校長の「十回講義」と、三泉寮に欠かせない「山響の歌」について。今年7月に展示された、夏季寮での生活がうかがわれる資料です。


★ご寄贈のお願い★ 成瀬記念館では、常時、ご寄贈を受け付けています。

最近成瀬記念館に寄贈されたものに、社会事業学部を開設した第二代校長麻生正蔵の扁額があります。学内に樟渓館という建物がありますが、この名称は麻生の雅号から取ったものです。麻生正蔵の資料は少なくて、卒業生の方から寄贈を受けることができ、ありがたく思っています。

寄贈は、写真、授業ノート、家具などさまざまなものを受け付けています。写真1枚でも結構ですので、お気軽にご相談ください。

また、昨年は退職された職員の方から成瀬記念館への指定寄付をいただき、そのご寄付で現在「三綱領」を修復しています。資料を健全な状態で次世代へと引き継ぐには文化財修復が欠かせません。このような、成瀬記念館への指定寄付もご検討いただければ幸いです。

★現在、記念館で求めているのは制服です★

古い時代のものはなかなか揃うことがないので貴重品だそうです。歴史に見る学園生の制服の一部をご紹介します

運動会で一番の呼び物だった日本式バスケットボール。成瀬がアメリカで知り改良を加えたもので、写真の服装は一時期着用したユニホームです。

高等女学校生徒による 運動会の応援(1937年)。お揃いの体操服を着用しています。

生物の授業の様子(1957年頃)。ジャケットとスカートを着用しています。