|特集1|しなやかに、たくましく困難な時期を乗り越えた
学園の卒業式が開催されました

それぞれの場所で、新たな活躍を祈念します

2023年3月。学舎を巣立つ園児、児童、生徒、学生たちの姿がありました。

この数年、マスクを身につけ続けた豊明幼稚園の児童たちには、笑顔あふれる小学校生活を送ってほしいと祈るような眼差しが向けられます。成瀬記念講堂で卒業証書を受け取った豊明小学校の112回生。コロナ禍を乗り越えたその表情は、少し大人びて見えます。

リモートでの入学式を余儀なくされた附属中学校76回生と高等学校75回生たちは、制限がある中でも工夫しながら充実させた学校生活を振り返っています。

大学と大学院では総代と成瀬賞受賞者が卒業生・修了生を代表して成瀬記念講堂に赴き、その様子は各教室の卒業生たちに中継される形で卒業式・修了式が行われました。この4月から桜楓会の一員となる卒業生たちは、高野理事長の祝辞で温かく迎えられました。

この場に集えた喜びを分かち合い、それぞれの新たな場所での活躍を祈念した卒業式のご報告です。

《日本女子大学》

日本女子大学 篠原学長 告辞

本日ここに学位記を授与される皆さん、おめでとうございます。日本女子大学の教職員を代表して、心よりお祝いを申しあげます。そして、皆さんをこれまで支え、励ましてくださったご家族、関係する皆さまにもお祝いと、合わせて、感謝の意をお伝えいたします。

さて、社会全般を見渡しますと、長かった新型コロナウイルス感染症のために多くの犠牲を強いられた日々から、徐々に私たちは日常を取り戻しつつあります。多くの制約の中で、大学の授業で言えば、TeamsやZoomなどをつかった遠隔授業が常態化するなど、ITリテラシーの進展は、目覚ましいものがありました。それは、この試練の中で私たちが手にいれたものであり、新しい可能性が開かれた一面ととらえることができるでしょう。一方で、直接対面でコミュニケーションすること、集まることの大切さ、愛おしさを改めて実感するところでもありました。

皆さんはこの先、これまで以上に多くの出会いを経験することになるはずです。それは大いなる喜びでもありますが、多様な価値観に触れること、多様な属性の人々と共存することは簡単ではありません。私の専門である建築の設計においては、モダニズムはむしろ多様性を排除する指向をもっていました。団地は住むところとしてつくり、工場地域には工場、商業地域には商業といった具合です。現在の法律では、一つの建物の中に異種の用途が共存することには厳しいルールが伴います。その背景には、もちろん、過密になり、スラム化した都市を衛生的にし、景観を整え、合理的な集住環境をつくるという大命題があり、それには、大いに意味があったのは確かです。

文化人類学者のエドワード・ホールはその著作「かくれた次元」の中で、面白いことを言っています。都市のスラムクリアランスに対して触れた文章で、「ネズミの集団の密度を高めて、しかも健全な標本を維持するためには、ネズミを箱に入れてお互いに見えないようにし、かごを清潔し、十分な食事をあたえればよい。箱は望みのままに積み重ねることができる。残念なことにかごにいれた動物は愚鈍になりやすい。」この一説は、スラムクリアランスのために建設されたプライバシーの高い、高層で大規模な団地への批判でもあり、実際、そうした場所の多くは結局再スラム化しています。

適度な相互活動は人の創造性を刺激し、何よりそれは生きる意味を担保するものです。私が長年調査してきたバンコクのディンデン団地は、5階建ての建物が並ぶ集合住宅団地ですが、その1階はもともと、ピロティというオープンスペースとしてつくられていました。つまりそこは純粋な居住空間としてデザインされていたわけです。しかし、現在は、そこにはカフェや食堂など店舗や保育園や高齢者のデイケア施設で埋め尽くされて、中庭には小さな仏教のスピリットハウスも建てられていました。住人は自らの手で、均質な空間に相互活動の可能な空間をつくり、用途の多様性を獲得したのです。それは、単に空間が多様であるということにとどまりません。ある住人はそこで、食堂を運営し、保育施設を手伝い、スピリットハウスの周辺で行われる祭事の運営委員として働きます。彼は、この古い町のように複雑に住みこなされた団地の中で、自分の中に、多面的な自分を発見することになったわけで、それは彼の人生を豊かにしているように思えました。

多様な場所での多様な人との相互活動は、多くのコンフリクトを生み、さらにそれが多様な属性の人々との相互活動ともなれば、さらに多くの問題を孕むことは想像に難くありませんが、それ以上にその刺激は人を創造的に、自分の中の新たな側面を発展させる可能をもつでしょう。

自分の中の可能性を育てたいなら、未知の場所に行き、できるだけ自分とは異なった未知の人と出会ってください。創立者成瀬仁蔵は若くして出会った澤山保羅によってキリスト教に目覚め、遥かなるアメリカに渡り、女子教育の向かうべき姿を見いだしました。また成瀬の支援者であった広岡浅子や渋沢栄一は、成瀬に会わなければ、そこまで女子教育に傾注し、その支援者となることもなかったでしょう。誰かに出会い、相互活動を行うことで、それぞれが新たな自分を発見してきたという証左がここにもあります。

最後に、日本女子大学を卒業、修了する皆さんは、それに値する学問を修め、研究を成し遂げたことに誇りをもち、同時にそれが成し遂げられた環境に感謝することを忘れずに、新たな一歩を踏み出してください。あなたたちがここで、学び、考え、感じたことを、より広い世界で実現してください。女性を取り巻く社会情勢はまだまだ厳しく、あなたたちが人として、女性としてしなければならないことは、少なくありません。現実を直視する勇気を持ち、何事にも誠実に相対する皆さんのひとり、ひとりが、これからの日本、そして世界に新たな価値を創造していく存在であることを信じています。日本女子大学が誇る卒業生として、皆さんの輝く未来を心から祈念いたしまして、本日の告辞といたします。

日本女子大学泉会 岩脇彰信会長 祝辞

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

皆さんは、大学生活の大半をコロナ禍のもとで過ごされました。入学してからの1年間と2年目からとでは、その環境は激変し、大学に登校することができないことで、新たに友人を作ることができず、そのために心の不安を抱えられた方も多かったのではないかと思います。

困難な時期を乗り越え、本日、卒業式を迎えられましたことは、皆さんそしてご父母の方々にとりまして、喜びもひとしおのことと存じます。

これから皆さんは、就職、進学と新たなる環境に入っていくわけでございますが、そこには、大いなる未来が待っております。進学する方も社会人となる方も、新しい世界では、多くの人との出会いと共に、多様な価値観に接することになりましょう。新しい出会いは、自己の視野を広げ、可能性を広げるチャンスであります。しかしその一方で、周りの価値観と自分の価値観の違いに大きな違和感を覚えるかもしれません。困難な場面に遭遇した時は、どうぞ自分の視野が広がると思って、まずは気持ちを軽くして、俯瞰することをお奨め致します。

しっかりと自分の考えを持って、自分の意見を基にして、周りの人と協調していってもらいたいと思います。健康には気をつけて、なお一層ご活躍されることを祈念しております。

一般社団法人 日本女子大学教育文化振興桜楓会 高野晴代理事長 祝辞

ご卒業、ご修了おめでとうございます。コロナ禍にあっても大学生活を意義あるものになさり、本日卒業、修了を迎えられましたことは、皆さんの日々のたゆまぬ努力の成果と存じます。

本日皆さんをお迎えする卒業生組織である桜楓会は、第1回の卒業式の次の日に、創立者成瀬校長の強い期待のもとに発足しました。それは、卒業しても学び続け、社会貢献を行うことでした。その志は120年の時を経ても受け継がれ、常に学び、様々な活動を続け、後輩のために母校を支えています。卒業生は、現在93,000名を数え、海外を含め、145の支部を擁しています。

ご卒業後、職場で、大学院でいろいろな方との出会いが待っていると思います。同窓の方との出会いもあり、頼もしさを感じることでしょう。この卒業生同士のネットワークを駆使して、各分野で活躍してください。

桜楓会では、先日今年の卒業生と昨年の卒業生とのオンラインでの意見交換会を行いました。同じ学科、同じ職種ではないメンバーとの話し合いは、桜楓会ならではの企画としてよかったとの感想があり、続けたいと思っています。

桜楓会は様々な企画を立て、発信していきます。ご参加をお待ちしています。ぜひ本年10月7日(土)のホームカミングデーにお出かけください。皆さんのさらなるご発展をお祈りして、お祝いの言葉といたします。

第120回 新制73回 卒業生代表 人間社会学部文化学科 平原里菜 答辞

桜の蕾も膨らみ始め、春の息吹を感じられる季節となりました。

本日は、私たち卒業生のためにこのような晴れやかな式典を挙行していただき、誠にありがとうございます。ご臨席を賜りましたご来賓の皆様、先生方、保護者の皆様に卒業生一同、心より感謝申し上げます。

日本女子大学で過ごした時間は、瞬く間に過ぎていきました。4年前の春、不安と期待が入り混じる中、緑豊かな西生田キャンパスの門を潜ったことを今でも覚えています。個性溢れる仲間たちに囲まれ、得た学びや経験を通じて、自分らしく生きるための勇気や自信をつけることができた贅沢な4年間でした。

文化学科では美術や文学、音楽や思想など複数の専門領域を学び、多様な文化に触れました。授業を受ける度に新たな発見があり、興味の幅が広がっていくことを実感する毎日でした。中でも私は視覚的に表現されたものに関心をもち、その歴史や社会との関わり合いを考察することに励みました。作品の描かれ方や作者について学び文化的背景を探る中で、美術作品には当時の眼差しが反映され、社会と密接につながっているのだと気づかされました。また卒業研究では、音楽教育への貢献で知られる伊澤修二が行った社会事業について取り上げ、その画期的な意義と時代的な限界について論じました。私はこれらの学びを通じ、従来の常識にとらわれることなく、世の中や自分自身と常に向き合っていくことの重要性を実感しました。文化学科で培った他者への想像力や多角的に物事を捉える力は、この先の人生の糧になると確信しています。

私たちの大学生活は2年次から新型コロナウイルスの影響で大きく変化しました。私が所属した音楽サークルでは対面での練習や演奏会が制限されてしまいました。新入部員の加入も途絶え、サークル存続の危機に陥りました。そのような状況であっても部員と何度も話し合い、オンラインでの練習を続け演奏動画の配信を成功させました。逆境に立ち向かう過程で、諦めないことの大切さや仲間との連携の必要性を学びました。

対面授業もなくなり、教室で先生や友人とともに学ぶという当たり前が失われました。前例のない日々であっても教職員の皆様が学生同士のつながりを絶やさないよう工夫してくださったことで、孤独感や不安が和らぎました。受け身になりやすいオンライン授業では、常に疑問を持って自主的に学ぶよう努めました。状況に応じて柔軟に対応し、コロナ禍を乗り越え支え合ってきたことは私たちを強くしてくれたはずです。

私たちは今日、この日本女子大学を卒業し、それぞれが選択した道を進んでいきます。どのような道であったとしても、本学で過ごした日々や磨いた知性と感性、志は決して消えません。未解決の問題が山積する不確かな時代の中で、私たちは一人ひとりが託された使命を精一杯果たしてまいります。本学の三綱領「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」の理念を胸に刻み、各分野でより一層の努力をしていくことを誓います。

最後になりましたが未熟な私たちをいつも熱心にご指導くださいました先生方、多岐にわたって学生生活をご支援いただいた職員の皆様、一番近くで励まし寄り添ってくれた家族、苦楽を共にした友人たち、これまで支えてくださった全ての方々に、心より御礼申し上げます。皆様のご健康と日本女子大学の輝かしい発展を祈念し、答辞とさせていただきます。

第120回 新制73回 卒業生代表 理学部化学生命科学科 橋本真由 答辞

やわらかな陽が降り注ぎ、桜が咲き始める季節となりました。

本日は、私達卒業生のためにこのような式典を催していただき、誠にありがとうございます。

ご多忙のなか、ご臨席賜りました先生方、ご来賓の皆様、保護者の皆様に、卒業生一同、心より御礼申し上げます。

4年間の大学生活ははじめて経験することばかりで、忙しくも充実したものでした。

1年生のときは毎週実験のレポート提出に追われ目まぐるしく日々が過ぎていったことや、はじめてのアルバイトでお金をもらえることに感動したこと、部活の練習に熱心に励んでいたことが鮮やかに思い出せます。

2年生から始まった専門科目の授業は、内容が難しい上に情報量が多く理解するのに苦戦しました。そうした中でも自分なりに理解して専門的な知識を積み重ねることで、以前はうわべしか知らなかった物事を深く理解できるようになりました。近年よく耳にするワクチンやPCR検査などの原理を人に説明できたとき、知識が増え以前よりも視野が広がったことを実感し喜びを感じました。

実験も座学と同様難しくなり、データをまとめるのに苦労したり結果からどう考察すればよいのかわからず苦しんだりしたこともありました。それでも根気強く考察に取り組む中で、客観的なデータの示し方や論理的な考え方を学びました。

4年生になって卒業研究が始まるとそれまでとは大きく異なる種類の大変さに直面しました。自分でやるべき実験を考え、スケジュールを調整し、遂行することが必要になったからです。さらに、機器を使った細かい作業に苦戦したり、期待していた結果が出ずに辛かったことも多くありました。それでも試行錯誤を繰り返して研究を進め、最終的に論文を完成させたときには、やり遂げたという達成感をしみじみと感じることができました。

私たちはこのように多くの苦難を乗り超えて今日この日を迎えることができました。直面した困難は人それぞれでも、それぞれがあきらめずに乗り越えてきました。そして4年間、粘り強く考え抜く力や、得た情報から様々な可能性を検討し問題を解決する力を養ってきました。これからまた困難があっても、この4年間を思い出せばめげずに乗り越えられるはずです。今後はその力を活かし、社会の一員として自分の役目を果たしていきたいと思います。

最後になりますが、私たちが新型コロナウイルス感染症の流行による異例の状況の中でも、社会で生きる基礎となる力を十分に養えたのは、例年通り多くの学びを得られるようご尽力くださった先生方、学ぶ環境を整えてくださった職員の皆様のおかげです。また私たちがここまで頑張れたのは、温かく見守り、支えてくれた家族がいたからです。私たちを支え、導いてくださった全ての方に、心より感謝申し上げます。

日本女子大学のさらなる発展と、皆様のご健康をお祈り申し上げ、答辞とさせて頂きます。

《附属高等学校》

穏やかな日差しに桜の花も開き始めた3月15日(水)、高等学校にて、第75回卒業式が行われました。今年度は、保護者の皆様のご列席、卒業生による校歌や学生歌の歌唱、一部在校生による祝歌、在校生の係による受付や席詰など、従前の卒業式に近い形で催すことができました。

《附属中学校》

3月18日(土)、中学校の卒業式を行いました。今年の卒業生は入学式をオンラインで行った学年です。制約も多い中、最後の1年間は最上級生として様々な工夫をし、学校を引っ張ってくれました。

《附属豊明小学校》

桜の花がほころび始めた3月17日(金)、日本女子大学附属豊明小学校の第112回卒業式が執り行われました。式場は明治39年、豊明小学校の開校と同時に建てられた成瀬記念講堂です。

《附属豊明幼稚園》

2023年3月16日(木)春を感じる暖かな今日、第115回修了式を行いました。園長先生より一人ひとり修了証を受け取る子どもたちの表情は凛々しく、時折笑顔がこぼれていました。


「自ら考え自ら学び自ら行動する」を
それぞれの胸に刻んだ入学式が執り行われました

新たな一歩を踏み出した学園の一員となった新入生たち

新緑の眩しい4月。目白キャンパス、西生田キャンパス共に入園式、入学式が晴れやかに執り行われました。

豊明幼稚園の118回生は、5歳児が植えたフリージアに迎えられて笑顔が溢れます。同じく118回生となった豊明小学生は、付き添いの6年生に名札をつけてもらって嬉しそうでした。

西生田キャンパスで入学式を迎えたのは、79回生の附属中学生と78回生の附属高等学校生です。中学生は小学校生活の半分がコロナ禍の影響下にあり、高校生は中学3年間をコロナ禍の中で過ごしました。誰も経験しなかった学校生活を経験した新入生たちは、「自ら考え自ら学び自ら行動する」、本学の教育理念を改めて胸に刻みました。

成瀬記念講堂で行われた大学・大学院の入学式には、国際文化学部の一期生を迎えることができました。2024年度に開設予定の建築デザイン学部(仮称)についても紹介され、新たな時代を迎えた日本女子大学の教育に期待が高まります。

4月3日(月)の大学・大学院入学式をスタートに、13日(木)の豊明幼稚園入園式まで、10日間に渡って迎えた新入生たちが今、人生の新たな一歩を踏み出しました。

《日本女子大学》

日本女子大学 篠原学長 式辞

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。3年間も続いたコロナ禍の日々から、ようやく日常をとりもどしつつある昨今ですが、困難な状況下での学生生活、そして受験勉強を経て、今日ここに来られた入学生の皆さんを、私たち、教職員は、心からの祝意をもってお迎えいたします。また、本日に至るまで、学生の皆さんの努力を、愛情をもって支えてこられたご家族、関係する皆さまにも心よりお祝い申しあげます。

一昨年に日本女子大学は120周年を迎え、この創立の地、目白に、家政学部、文学部、理学部、人間社会学部の4学部15学科および大学院の5研究科が揃い、さらに今年度からは国際文化学部が新入生を迎えました。2022年に理学部の名称変更、本年度に国際文化学部を開設しまして、2024年には建築デザイン学部(仮称)の開設、さらに2025年には、新学部の開設を構想しております。こうした本学の学部学科再編は、社会の要請に応え、社会に新しい価値を創造する人材を輩出するという創立者の意図に沿ったものです。

創立者成瀬仁蔵は、自らを「教育者ではなく、社会改良者」であると言っておりました。成瀬は、武士の家に生まれ、明治になり、教員養成の学校に入りますが、最初から、女子教育を目指したわけではありませんでした。しかし、キリスト教に出合い、多くを学び、様々な社会の情勢を見る中で、女子の、それも高等教育という成瀬の生涯をかけた「課題」を発見することになります。ですが、「課題」に至る道筋は、その実現と同様にそう簡単ではありません。一つの手がかりは、物事に能動的に関わる姿勢にあるでしょう。成瀬は、当時、社会の改良に積極的に関わろうとし、その姿勢が、「女子教育」という「課題」に至らせたということです。成瀬の課題設定がなければ、この日本女子大学がなかったわけです。

少しだけ、私の経験をお話いたします。私は、パンデミックの前は、住居学科の教員として学生とともに、アジアを中心にいろいろな場所に住まいの調査にいっておりました。その中で、最近、とみに思い起こすのは、ミャンマーのインレー湖の水上集落のことです。全長22キロにも及ぶ細長い湖なので、1時間ほど街の船着き場から船でいきますと、延々と続いた葦の岸辺の先に、突然、高床式の水上集落が出現します。それは、水上ではありますが、れっきとした村です。基本的には、竹を使って、水面から、2mほどもちあがったところに床があり、水面には船をつけるデッキがあります。床を持ち上げた柱を囲むように小さな魚の養殖場があります。ほとんどがそうした構成ですが、いくつかの集落を調査すると実に巧妙に場所が選択され、巧妙な方法で建てられていることがわかりかした。また、集落によっても生業が異なることなどがわかりました。私たちには、変わらない葦の湿原であっても、インレーの人々にとっては、その深さや川との関係、微妙な植生の違いなど、多くの条件によって、それはそれぞれに異なる場所であったわけです。つまり、そこに自ら関わろうとしたときにだけ、見えてくるものがあるということです。私も建築家として、何かを設計するためにひとつの敷地を前にすると、以前から知っていた場所であっても、全く違う問題や可能性がそこにみえてきます。

これから、皆さんは、それぞれに卒業、修了に向けて、自らの課題を設定することになります。具体的な課題を設定するには、ただ能動的に事態に関わるだけでは足りません。確かに、よいアイディアは偶然のようにやってくることもあります。一方で、「チャンスは準備されたものだけに訪れる」という意味のことを、フランスの生化学者で細菌学者のルイ・パスルールは言っています。この準備こそがここでなされるべきことのひとつです。偶然のひらめきは、多くの知識、そして多くの経験の結果なのです。もうひとつだけ、付け加えるなら、私がミャンマーのインレー湖の集落に出合ったのは、住居学科での学びと同時に、当時日本建築史の教授であって、現在は本学名誉教授の鈴木賢二先生のお誘いによるところでした。人との出会いは、偶然を補強する最強の手段であることもお伝えしたいと思います。さらに、ひと際、このインレー湖の集落のことを思いだすのは、ご存じにように、ミャンマーの現在の状勢を考え、また私の教員としての時間を考えるなら、私が学生とともにそこを訪れることはもうできないだろうと思うからです。調査、研究が平和を前提としてものであることを深く思わないわけにはいきません。

ミャンマーのみならず、世界の様々な場所での紛争を思えば、本日ここに、穏やかな環境の下、入学式を迎えられることの幸運に感謝するばかりです。同時に、世界に対する広い視野を持ち続ける義務が私たちにはあります。

本学は、1901年に日本女子大学校として創立し、多くの人々の尽力によって、1948年に新制日本女子大学となりました。120周年を機にキャンパスの再整備なったこの環境、そしてこの伝統を存分に生かして、ここを旅立つ日までに、できるだけの知識と、仲間、を手にしてください。そして、もちろん、私たち、教職員もあなたたちの仲間として、共に歩んでまいります。

以上で、2023年度入学式の式辞といたします。

日本女子大学泉会 岩脇彰信会長 祝辞

新入生のみなさん、日本女子大学へのご入学おめでとうございます。

日本女子大学は、2021年に創立120年を迎えました。1901年(明治34年)に成瀬仁蔵先生により、当時、女性だからと行動の制約や排除を受けていた時代に高い理想を掲げられ、女性のための高等教育機関を設立されたことに始まり、今日まで120年の歴史を刻んできたわけでございますが、それには成瀬先生の理念を脈々と受け継がれてきた先人の方々のご尽力があっての120年であったと思います。

そしてこの度、入学された皆さんは、これから先、130年、140年の歴史をつないでゆく人々の一人となるわけでございます。

日本女子大学には、成瀬先生の掲げられた三つの鋼領がございます。「信念徹底」・「自発創生」・「共同奉仕」。周囲が当たり前としていることにただ従うのではなく、自分自身の信念を持って、自己の発想を発信しながらも、他者と協力し、繋がっていく。そのために、時には鳥瞰図的に自分を見つめ、自省してみる。気が付くと他者に迎合して行動してしまう、そのようなことにならないように、自分の考えを基にして、その上で周りの人と協調していってもらいたいと思います。

みなさんが更なる成長をされることを祈念して、お祝いの言葉とさせていただきます。

一般社団法人 日本女子大学教育文化振興桜楓会 高野晴代理事長 祝辞

ご入学の皆さん、本日は誠におめでとうございます。

「日本で最初の、日本を代表する女子大学」という意味をこめて名づけられた日本女子大学から巣立った皆さんの先輩方は、4年間で培った力を発揮し、卒業生同士のネットワークを駆使して、各分野で活躍しています。

このネットワークが築かれるのも、母校が多くの活躍する卒業生を輩出しているからです。強い絆で結ばれている卒業生は桜楓会員と呼ばれますが、現在は93,000名を数え、海外の支部を含め、145支部を擁しています。

創立者成瀬仁蔵は、卒業生が卒業後も学び続けること、社会貢献を行うことを望みました。今もなお、その精神は受け継がれ、自己研鑽に励み、様々な活動に力を尽くし、後輩のために母校を支えています。

桜楓会は、在学生への支援として、給付型の奨学金、国立博物館等に無料で入館できるキャンパスメンバーズの支援、卒業生からアドバイスを受けられる就職懇談会や、マナー、メイク講座を行っています。また「エシカルプロジェクトPLUS」という在学生への食品等無料配付会を開催、「つくる責任、つかう責任」というSDGsの目標達成に貢献しましょう、と在学生の皆さんと協力して配付会を積極的に進めています。桜楓会には、在校生のために準会員の制度があります。在学中に桜楓会の事業に参加できる会員と言えましょう。今回活動内容を記したパンフレットを作成し、お届けしますので、ご覧ください。

さて、皆さんには、今日から、新しい出会いが待っています。ほんとうに楽しみですね。ここで私の最近の出会いを紹介します。

広岡浅子との出会いです。「あさが来た」というNHKドラマでご存じの方も多いでしょう。浅子は、起業家でもありますが、成瀬先生の著書『女子教育』に感動し、日本女子大学校の創立に力を尽くしました。2016年に広岡家で保管されていたお茶箱から400首程の浅子の歌集が発見されました。日本女子大学にその刊行が託され、私は監修を担当させていただき、2019年に出版できました。浅子の種々の活動を調べると、「桜楓会補助団」は、経済的、精神的に桜楓会を援助する組織ですが、それが浅子の発議で作られていることを知りました。歌集には、桜楓会や日本女子大学に心を寄せる和歌が何首も記されています。浅子の生き方から学ぶことは多く、来年設立120周年を迎える桜楓会は、様々な場所で活躍している桜楓会員を顕彰すべく「広岡浅子賞」を創設することになりました。

皆さん、これからの様々な出会いを大切になさって、ご自分の進む道を見つけてください。ご発展をお祈りして、お祝いの言葉といたします。

《附属高等学校》

4月8日(土)、前日の雨風とは打って変わった晴天のもと、第78回生の入学式が行われました。式は上級生による奏楽から始まり、講堂内の空気を温かく、かつ粛としたものにしてくれました。

《附属中学校》

新緑の輝きに見守られ、日本女子大学附属中学校79回生の入学式を行いました。生田の森をふく爽やかな風が新入生を迎えてくれました。

《附属豊明小学校》

4月12日(水)、118回生が入学しました。1年生教室は6年生や2年生のお姉様が作った掲示でかわいく飾られています。

《附属豊明幼稚園》

5歳児が栽培していたフリージアが咲き誇るなか、4月13日(木)、118回生の入園式が行われました。