学園にまつわる人々の青春時代を、思い出の写真から紐解くアオハルプレイバック。前号の桜楓会理事長 高野晴代先生から引き継がれたのは、副学長の宮崎あかね先生です。

宮崎先生は日本女子大学附属高等学校で学び、1991年に日本女子大学家政学部家政理学科一部を卒業。93年に東京工業大学大学院で修士課程を、96年に東京大学大学院で博士課程を修了しました。2006年本学に着任後、2018年と2019年には日本政府代表顧問として国際連合総会に参加しました。また、長年取り組んで来られた「酸化物と金属イオンの間の固液界面反応―女子学生との共創―」により公益社団法人化学工学会の「女性賞」を受賞するなど、サイエンスの分野での活躍を目指す女性にとって、ロールモデルとなられている先生です。


高校時代、数学好きの女子は「リケジョ」ではなく「変人」でした

私が理数系の世界に興味を持ったのは附属高等学校です。ご存じの通り、附属高等学校では文系と理系に分かれることなく全科目をまんべんなく履修するので、数学も語学も、どの教科も楽しく学んでいました。特に数学は、一つの答えにたどり着くまでの道筋を考えるのがとても好きでした。

当時の本学には理学部がなく、理数系の学問を修めるのは家政学部でした。世の中にはまだ「リケジョ」なんて言葉もなくて、人気の学科は英文学科でした。「数学好きなんて男の子みたいだよね」と比較対象となる男子もいないので、数学好きな私は「変人」扱いでした(笑)。マジョリティでないと変人になってしまうんですね。

とはいえ、理数系も含め、高校の先生は卒業生が多かったと思います。高校1年生のときには、現附属高等学校長の薄先生が新卒で着任されて活躍していらっしゃいましたし、学校には私にとってロールモデルとなる女性がたくさんいました。選択の授業では数学ばかりを勉強していましたが、将来を考えた時、ふと疑問が湧いてきました。「数学を学問として学び、将来、職業とするのはどうなのだろう?」と。未だ解明されていない数学の定理や原理を解明するのが大学での数学なのだろうと思ったとき、私の『数学好き』は、問題集を解いて正解にたどり着くのが楽しいというレベルであって、それではプロになれないと気付きました。

さてどうしたものだろう?と考えていたある日、お風呂に入っていたときにふとある考えが降りてきました。もしかしたら私は手で触れられるものを扱う方が合っているのかも知れないと。

私の専門は化学です。化学は物質を扱うので、まさに手で触れることのできる分野です。日本女子大学では髙橋泰子先生の下でゲルの研究をしていました。

東京工業大学の大学院に入ったときには「陸・海・空、どれにする?」と聞かれて、迷わず手で触れることのできる「陸」を選択しました。ちなみに地球科学の分野には固体(地殻など)、液体(海など)、気体(大気など)の三要素があって、今、私が研究している土壌は「陸」、すなわち固体です。

大学時代、二十歳の頃。初めての海外旅行での一場面。ヨーロッパに約1ヶ月間滞在しました。当時、外国語も一生懸命勉強していたので、ドイツのカフェで言葉が通じたのが嬉しかったです。

世の中の荒波に揉まれると、教師と教え子は「働く女同士」になれる

日本女子大学は附属校も含めて、自由で個人が尊重された学校だと思います。私は高校1年の時から学園の自由さに衝撃を受けて大好きになりました。それは高校1年の地理の授業での出来事です。一番前の席で読書していたクラスメイトに先生が「あなた、何を読んでいらっしゃるの? 」と尋ねたところ、彼女は「シャーロック・ホームズです」と屈託なく答えました。すると先生は「そんなに本が読みたいなら、お外にいらっしゃい!」と言い、そのクラスメイトは「はい」と教室を出て行ったんです。まず、地理の先生の言葉遣いも衝撃でしたが、外に出たいから出る、読みたいときに本を読む、という行動ができるこの高校はなんて自由なんだろう、こういう雰囲気は大好きだ!と思いました。

日本女子大学の研究室にいた頃も、個人が尊重されて、とても守られていたと思います。東京工業大学の大学院で研究をしていた頃、最初は、男子が手伝ってくれたり教授が可愛がってくれたりするのですが、社会に出ようとして競争が始まると、女子にはガラスの天井があると感じていました。「女の子だから」と可愛がられ、甘やかしてもらえるのは、差別の裏返しでもありますね。

近年、女性研究者を取り巻く環境は、恵まれたものになりつつあると思います。私たちより上の世代の女性たちが頑張ってくれたからこそ、アファーマティブアクション*という考え方も浸透してきました。だからこそ、私も男性が多い学会の役職などに就く機会をいただいてきましたが、「女性研究者の数をもっと増やそう。もっと女性は頑張らなければ」と言われて飛び込んだ男性社会では苦労することも多いと思います。

そもそも社会に出ると荒波に揉まれるものですよね? 卒業して同窓生と会うと、社会に出ると大変だ、という会話から始まるのが常でした。まずは入社した会社の愚痴から始まり、結婚すると家庭での悩みの話になり、私は別の人生を追体験させてもらったような気がします(笑)。

個人を尊重し、守られた環境にある学生たちには「世の中はそんなに甘くない。人の好意を当たり前と思ってはいけない。たとえば社会では遅刻が許されないことや、締め切りを守らないと受け取ってもらえないこともある。就活のエントリーシートに誤字脱字があったら、それ以上読んでもらえないこともあるのよ」と言うようにしています。ちなみに私は遅れたレポートは受け取りません。レポートに誤字脱字があればしっかりと指摘します。

でも、「先生は鬼みたいだ」と嘆いていた学生たちも、社会で揉まれて鍛えられると、学生時代とは違った視点で私を見つめてくれるのを感じます。学生と教師ではなく、働く女同士になれるのがいいところです。

*アファーマティブアクション
積極的差別是正措置。たとえば女性の働く環境改善や賃金格差の是正のために、企業の女性管理職の数を何%まで増やそうと目標を立てるような取り組み。

卒業式、母と共に校門前にて。背景に写っているのは泉山館、「泉山」は創立者の成瀬仁蔵先生の雅号です。

総合大学だからこそ多様な分野のエッセンスを吸収できる環境がある

大学卒業後、約15年を経てこの研究室に戻ってきたとき、キャンパスはずいぶん変わっていましたが、私の研究室のある八十年館は研究室のレイアウトも含めてほとんど変わっていなくて懐かしかったです。何よりも嬉しいのは、すぐ近くに、多様なご専門を持つ先生方がいらっしゃることです。

理学部長の奥村先生は天文学がご専門で、望遠鏡の開発にも携わっていらっしゃるので、NASAが開発したジェイムズ・ウェップ宇宙望遠鏡について、是非、いつかお話をうかがいたいです。次号に登場いただく今市理事長とは共同研究をさせていただきました。植物学がご専門の今市先生は、熱帯の植物を採取するために密林を駆け巡り、「マラリアに罹らなければ一人前ではない」と言われる世界で研究をしてきた方です。

私は多くの人たちが関わるビッグサイエンスよりも、周囲の協力してくださる方々と共に、流行りものではない、小さくても意味のあることに取り組みたいと思っています。

また文系には、前号に登場された高野晴代先生のように、源氏物語を研究されている先生もいらっしゃいます。総合大学としての本学のいいところは、文系・理系に関わらず、さまざまな特性や専門を持つ人が集まっているので、研究者は自分とは全く違う分野のエッセンスを吸収できます。科学者は、自分の研究のマッピングはあるとしても、違う分野のエッセンスを吸収して、平面だった地図を立体へ、二次元から三次元へと研究の幅を広げていくべきなのだと思います。日本女子大学は、それができる環境です。

地球科学の分野には世界中を旅する人もいますが、私は砂や岩の破片を研究室に持ってきて研究するタイプです。


次号は理事長の今市涼子先生のアオハルプレイバックをご紹介!

<宮崎あかね先生から今市涼子先生へ>

生物学がご専門の今市先生と化学が専門の私は、「菌根菌」の研究でご一緒させていただきました。小さな理学部だからこそ、生物と化学が結びついて思わぬ共同研究ができました。今市先生は研究者としての優れた能力を教育のマネジメントに活かしていらっしゃいます。尊敬する先生の青春時代のお話を、是非、うかがわせてください。